再びユトリロ

学友がユトリロ好きだったな。クラスメイトのちえちゃんとつきあっていて いつも嬉しそうだった二人の姿を思い出す。

ユトリロ好きな学友は 何かにつけて 恰好をつけ 自分が 原という名字なので 自分のことを ジョージ原ソン (ジョージハリソ

ン ビートルズのメンバー>と呼んで 何かと嬉しがっていた・今は懐かしい思い出で ユトリロを見るたびに ちえちゃんと 原ソンが

思い出される。 当時はまだ 何かと 穏やかな時代で 教授に対する あだ名も 冴えていた。すごく年寄りで よぼよぼな感じ

がする先生のことを 行き神様とよんでいた。もう帰ることのできない 昔だけれど みんなどうしているのだろうと 懐かしく思う・地方

から出てきた人も多く まあ 大阪も地方なんだけど 卒業後 地元に帰る人もいたり 海外で働く人もいた。就職活動のとき

掲示板には あまり聞いたことのない 海外の国や 街での現地駐在の仕事が 日本企業から 海外企業から 募集があった。

これをチャンスと 世界に出た人はいた。あたしは 別に 冒険もせず 無難なところに仕事を決めた。振り返ると 漠然とした夢

絵 音楽 そういうものへの 情熱は大きかったけどそれを着実な方法で 現実にする方法をしらないでいた。今もそうかもしれな

い。パソコンでいろんな人のブログに遊びに行く。そこで着実に いろんなンことを 現実化して 着々と 行動されてるブログに出会

う。すごいな と思う。中には 雑誌を立ち上げた人もいた。その方の働き方は 半端ではなかった。寝る間も惜しんで働いてい

た。あたしは 自分に不足してる何かを 探し出し改善して 毎日を歩んでいきたいと考えました。

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